イッセー尾形ワークショップ参加始末

このところずっと更新が滞っていたのは、うんざりするほどの暑さと、先週の出張のせいもあるが、11日から17日にかけて参加した、日経新聞社主催のワークショップ*1の後遺症が大きい。緊張と興奮と戦慄の一週間が尾を引いて、あれやこれやが頭に交錯して、ものをきちんと書ける状況ではなかったのである。


ワークショップの募集があったのは4月で、人数は20名程度、多い場合は抽選ということであった。一人芝居で有名な、イッセー尾形と共演で、日経ホールの舞台に立てるとある。これは面白そうだ。サラリーマン対象だから、一週間も毎日参加できる者はそうそう多くないはずと思っていたら、応募者は130名。さらに驚いたことは、演出家の森田氏が、全員を受け入れたことだ。当選通知にあった森田氏のメッセージには、見通しはたたないが、それはそれでなんとかなるだろう、とある。


130人全員がくるはずもないが、半分来たとして60名を超える。これでは、演技もまともにつけられないだろう。混乱のうちに始まり、混沌としておわるのではないか、と思う方が自然だ。それでも、せっかくだから、とりあえず一回目だけ参加して様子を見て続けるかどうか決めようと、11日の夜、日経本社ビルに出かけたのである。後で聞いたら、皆さんおなじように考えて、半信半疑で参加していたようだ。さすがに応募者より少なくなったとはいえ、それでも58名が初日に参加した。しかし、そこで展開されたことは、想像をぜっしていた。


森田氏に、ふつうの芝居をやる気は毛頭ないということは、すぐに分かった。車いすの森田氏を囲んで、ぐるりと円を描いていすがおかれ、座る。時間がきて始まると、森田氏は、いきなり適当に指名し、なんでもいいからしゃべりなさいという。当てられた人が自己紹介を始めたら、そんなつまらないことを話すな、とくる。なにがなんだかわからないまま、ダメを出された最初の人たちは気の毒であったが、5、6人が過ぎていくと、意図が少しずつわかってくる。


頭に浮かんだことを、ともかく話していくことが求められる。本当になんでもいいのである。それが「作り物」でなければ。それらしくセリフを作ろうとすると、小芝居をするなと怒られる。何人かやっていくうちに、ほとんどなにも考えずに口をついてでただけといった、他愛ない言葉が、意外に心にしみて、はっとしたりすることに出会う。不思議である。その人の人間性があらわれる瞬間というのだろうか。思いもかけず皆にウケたりする。ところが本人は、ほとんど無意識なためだろうか、自分がなぜウケたか、まったく分からないようなのである。


これがどう舞台にむすびついていくのか、氏のやろうとしていることがどうやらつかめたのは、3日目のことである。歳の離れたフィアンセを連れて、職場の女性上司に報告するという役をやってみなさいといわれる。セリフはアドリブである。私たち結婚します、と報告したら、上司役に「いまごろ遅いんだよ」と怒鳴られ、必死で「この歳になるまで独り身で、ようやくうんといってもらえたんです」とかなんとか答えたような記憶がある。


森田氏は、途中でとめて、いきなり、フィアンセはバツイチで、しかも身持ちが悪いんだ、それでやってみて、といいだす。3人のやりとりの雰囲気から、直感的にシーンをつくっていくのであるが、その直感力は見事で、なるほど、言われてみれば確かにそう見えるということがしばしばであった*2


結局、このように数人単位でまとまって、会社でいかにもありそうなシーンをつぎつぎに演じていくことになったのである。タバコ部屋での3人の男達の、女のここがわからないと、次々と独白していくシーンとか、パソコンに向かっている5人のOLのうしろにたった部長らしき男性が、わけのわからない朝礼をやるシーンとか。森田氏のねらいは、芝居らしい芝居ではなく、演ずる本人による「自分らしい」芝居なのである。これが難しい。


あらかじめ作って用意しておいたセリフはつまらないからと、16日の本番当日のリハーサルで、変えさせられたグループが何組もあった。しかも、コメントは、それつまんない、何か別のセリフを考えといて、である。私たちの場合は、この組はできているからいいよ、といわれてほっとして戻ろうとしたら、いきなり、でもちょっと場面を追加しよう、フィアンセが男性の家にいったら、ギター伴奏で歌を歌ってくれたということにしよう、といいだす。


何でもいいから早く歌えというので、苦し紛れに「いとしのクレメンタイン」を歌う。まず女性が歌い始めて、肘でつつかれてから、男が歌う、ということになった。歌の方は、フィアンセ役が、プレスリーのラブミーテンダーの方がいいというので、そちらを使うことに変更。歌詞はうろ覚えで、舞台では適当に歌ったのだが、その場の思いつきで、夢みるような感じで立ち上がって歌ったら、結構ウケていたようだったのがうれしい。


やってみて分かったが、しょせん芝居の素人なのである。最初は新鮮でも、何度も同じセリフをしゃべっていると、知らず知らずのうちに、感情がこもらず単調になってしまう。本番直前の変更は、その単調さをふせぐためにどうしても必要なのだろう。それにしても、毎日、場合によっては日に2回も同じ芝居をして、同じテンションを保っているのだから、プロの役者はやはりちがう。


本番直前の変更は、しかし、きつい。ただでさえ緊張しているというのに、さらに精神をかき乱される。本番前に、3人で打ち合わせをやってみたが、結局は出たとこ勝負でいくしかないということになった。


森田氏が何度も強調されていたが、ワークショップの目的は、きれいな芝居をすることではない。むしろ自分が弱点と考えていることを前面にだし、それを受け入れつつ、自分らしい芝居をすることなのである。その結果失敗してもかまわないし、その失敗をも受け入れるということが大切なのだ。実際16日の初日は、途中を飛ばしてしまったりして、予定の半分くらいで終わってしまった。二日目は、私の思わぬ体調不良で、本番直前のリタイアとなってしまったのだが。。。


それにしても実に得難い体験であった。毎日ビデオカメラにさらされ、衆人環視の中、セリフをしゃべるというのに、あがって声がふるえるといったことが一切なかったのが、我ながら不思議である。セリフを思いつくのに必死で、自分がどう見られているかといった自意識が働くゆとりがなかったということかも知れない。


緊張と興奮で、1週間というもの、毎晩酒を飲まないと神経が高ぶって眠れない日々が続いたが、今だにその余韻が残っている。

*1:イッセー尾形と働く人々」。イッセー尾形の公演と連動して開催。イッセー尾形の演出家、森田雄三氏による5日間の演劇指導プログラムの後、舞台(日経ホール)に立つというワークショップ。

*2:あくまでも3人がつくりだす全体の雰囲気の話であって、フィアンセ役の人が実際にそのような雰囲気をもった人ということではありません。念のため。