友人の死に思う

大学時代の同期の友人が、昨日亡くなったという知らせを受けた。突然である。最後に会ったのは、2年前、上海勤務からの帰国の歓迎会の席だったように思う。1年半ほどまえに、末期の胃ガンを宣告され、肺などにも転移していたため手術もできず、対症療法をつづけていたそうだ。今年に入って、会社も休職していたらしい。知らなかったのは私だけではなく、共通の友人は、皆一様に驚いていた。


私とは違って出世も順調で、順風満帆の人生かと思っていた。今年の年賀状は、例年になくしみじみとしたことが書いてあったから、もしかしたら、壁に当たったのかも知れないという気はしていた。それでも、まさか死に至るような大病とは、夢にも思わなかった。人生50年という時代はとうに過ぎ、100歳まで生きる人が珍しくない時代だ。54歳で死ぬのは、やはり早い。


自分の身体は、一体「自分」のものなのだろうか、とふと考える。自分の身体くらい、自分でコントロールできて当たり前、であるはずだった。しかし、一体この身体の中で、何が起きているか、私には分かっているのだろうか。意のままにコントロールできる部分がいかほどあるのか。


たいした大きさの身体ではないが、小腸だけでも、すべて広げれば、テニスコート1面分もの面積があるそうだ。神経のいきとどかないところは、体内のいたるところにある。そこで、本当のところ、何がどう進行しているのかは、だれにも分からない。いつもと違うことが起きて、初めて何かがおかしいと知ることになるだけだ。


自分は、「自分」にとって、もっとも身近な存在であるはずだ。それでもその程度なのである。