友人の死に思う

大学時代の同期の友人が、昨日亡くなったという知らせを受けた。突然である。最後に会ったのは、2年前、上海勤務からの帰国の歓迎会の席だったように思う。1年半ほどまえに、末期の胃ガンを宣告され、肺などにも転移していたため手術もできず、対症療法をつづけていたそうだ。今年に入って、会社も休職していたらしい。知らなかったのは私だけではなく、共通の友人は、皆一様に驚いていた。


私とは違って出世も順調で、順風満帆の人生かと思っていた。今年の年賀状は、例年になくしみじみとしたことが書いてあったから、もしかしたら、壁に当たったのかも知れないという気はしていた。それでも、まさか死に至るような大病とは、夢にも思わなかった。人生50年という時代はとうに過ぎ、100歳まで生きる人が珍しくない時代だ。54歳で死ぬのは、やはり早い。


自分の身体は、一体「自分」のものなのだろうか、とふと考える。自分の身体くらい、自分でコントロールできて当たり前、であるはずだった。しかし、一体この身体の中で、何が起きているか、私には分かっているのだろうか。意のままにコントロールできる部分がいかほどあるのか。


たいした大きさの身体ではないが、小腸だけでも、すべて広げれば、テニスコート1面分もの面積があるそうだ。神経のいきとどかないところは、体内のいたるところにある。そこで、本当のところ、何がどう進行しているのかは、だれにも分からない。いつもと違うことが起きて、初めて何かがおかしいと知ることになるだけだ。


自分は、「自分」にとって、もっとも身近な存在であるはずだ。それでもその程度なのである。

イッセー尾形ワークショップ参加始末(続き)

今日の日経電子版、映画エンタメガイドにワークショップの紹介の後編が掲載された。


先日書いたように、16日の初日は、途中をとばしてしまって、残念な結果となってしまった。翌17日は、前日の舞台の後の講評を生かし、いい舞台にしようと意気込んでいたのだ。朝からの舞台稽古では、もっと間をとることと、セリフのトーンを変えるようにと指示された。知らず知らずのうちに単調になっていたのだろう。


歳は食っていてもうぶな男の素朴感を強調してみようと、控室にもどってから、廊下にでて話し方をいろいろと変えてセリフをいってみる。控室の中では、森田氏がまだシーンの全体が決まっていない組にあれこれ指導しているが、それ以外の組も時間がおしいので、それぞれに廊下でリハーサルを繰り返している。私の「フィアンセ」も、もっと知的な雰囲気をだしてと、前の日と180度違ったことを言われ、とまどいつつも何回もひとりで練習している。


そうこうしているうちに、本番30分前となった。皆でそろって舞台にあがる。舞台真ん中におかれた、まわりより少し高くなった小舞台の両脇に、椅子をならべて全員が座る。順番がくるとその小舞台にあがって、それぞれのシーンを演ずることになるのだ。


本番まであと15分、お客さんが入り始めたというときに、どうしたことか、暑さがたまらなくなる。脂汗のようなものが出てくる。隣の「フィアンセ」に暑くないですかと聞くと、とくにそれほどでもないという。朝からちょっと体調がおかしく、腰とわき腹あたりに少し痛みがあったが、大したことはないと、特に気にとめていなかった。それがだんだんと耐えがたくなってきたのである。なんとか自分の出番だけでもこなせないかと、客席におりて、スタッフの方から水をもらい、空いた席でしばらく我慢していたが、痛みはひどくなる一方だ。これではセリフをいうどころではないと、ついにギブアップして、劇場をあとにしたのであった。


救急車を呼ぼうかとも言われたが、会社の事務所が近くなので、そこまで必死の思いで歩いて、冷房のない会議室のテーブルの上に半裸で寝転ぶこと1時間あまり。ようやく痛みがおさまり、なんとか家に帰れるまでに回復した。急な痛みの原因は、いまだにわからない。翌日には、何事もなかったかのように回復したので、医者にもいっていない。5年ほど前にも似たような症状に見舞われたことがあったが、暑さと疲れと冷房による急激な冷えが関係しているようだ。


上司に結婚を報告するはずの男が脱落したのだ。これは当然シーンカットだ。実際、森田氏の助手の方からは、そういう指示があったらしいのだが、二人は、本番直前の緊張の最も高まるときにもかかわらず、果敢にも、二人だけでやると宣言したという。日経エンタメガイドをご覧いただければわかるように『結果は、大成功』で『前日の発表を見ていなければ、これがもともと3人の芝居だったとは誰も気づかないほどの出来栄えに、事情を知る関係者も舌を巻いた』のである。


素晴らしい!!最後まであきらめないのは、やまとなでしこ魂ではなかろうか。この精神がなでしこジャパンに優勝をもたらしたのだ!!!


そんなことは、いえた義理ではないのである、ほんとうは。来週には、二人をご接待申し上げて、不始末をお詫びすることになっている。ただ、もしかして、逆に病気欠場を感謝されるかもしれないのである。それはそれで、ほっとするようで悲しくもあるのである。

イッセー尾形ワークショップ参加始末

このところずっと更新が滞っていたのは、うんざりするほどの暑さと、先週の出張のせいもあるが、11日から17日にかけて参加した、日経新聞社主催のワークショップ*1の後遺症が大きい。緊張と興奮と戦慄の一週間が尾を引いて、あれやこれやが頭に交錯して、ものをきちんと書ける状況ではなかったのである。


ワークショップの募集があったのは4月で、人数は20名程度、多い場合は抽選ということであった。一人芝居で有名な、イッセー尾形と共演で、日経ホールの舞台に立てるとある。これは面白そうだ。サラリーマン対象だから、一週間も毎日参加できる者はそうそう多くないはずと思っていたら、応募者は130名。さらに驚いたことは、演出家の森田氏が、全員を受け入れたことだ。当選通知にあった森田氏のメッセージには、見通しはたたないが、それはそれでなんとかなるだろう、とある。


130人全員がくるはずもないが、半分来たとして60名を超える。これでは、演技もまともにつけられないだろう。混乱のうちに始まり、混沌としておわるのではないか、と思う方が自然だ。それでも、せっかくだから、とりあえず一回目だけ参加して様子を見て続けるかどうか決めようと、11日の夜、日経本社ビルに出かけたのである。後で聞いたら、皆さんおなじように考えて、半信半疑で参加していたようだ。さすがに応募者より少なくなったとはいえ、それでも58名が初日に参加した。しかし、そこで展開されたことは、想像をぜっしていた。


森田氏に、ふつうの芝居をやる気は毛頭ないということは、すぐに分かった。車いすの森田氏を囲んで、ぐるりと円を描いていすがおかれ、座る。時間がきて始まると、森田氏は、いきなり適当に指名し、なんでもいいからしゃべりなさいという。当てられた人が自己紹介を始めたら、そんなつまらないことを話すな、とくる。なにがなんだかわからないまま、ダメを出された最初の人たちは気の毒であったが、5、6人が過ぎていくと、意図が少しずつわかってくる。


頭に浮かんだことを、ともかく話していくことが求められる。本当になんでもいいのである。それが「作り物」でなければ。それらしくセリフを作ろうとすると、小芝居をするなと怒られる。何人かやっていくうちに、ほとんどなにも考えずに口をついてでただけといった、他愛ない言葉が、意外に心にしみて、はっとしたりすることに出会う。不思議である。その人の人間性があらわれる瞬間というのだろうか。思いもかけず皆にウケたりする。ところが本人は、ほとんど無意識なためだろうか、自分がなぜウケたか、まったく分からないようなのである。


これがどう舞台にむすびついていくのか、氏のやろうとしていることがどうやらつかめたのは、3日目のことである。歳の離れたフィアンセを連れて、職場の女性上司に報告するという役をやってみなさいといわれる。セリフはアドリブである。私たち結婚します、と報告したら、上司役に「いまごろ遅いんだよ」と怒鳴られ、必死で「この歳になるまで独り身で、ようやくうんといってもらえたんです」とかなんとか答えたような記憶がある。


森田氏は、途中でとめて、いきなり、フィアンセはバツイチで、しかも身持ちが悪いんだ、それでやってみて、といいだす。3人のやりとりの雰囲気から、直感的にシーンをつくっていくのであるが、その直感力は見事で、なるほど、言われてみれば確かにそう見えるということがしばしばであった*2


結局、このように数人単位でまとまって、会社でいかにもありそうなシーンをつぎつぎに演じていくことになったのである。タバコ部屋での3人の男達の、女のここがわからないと、次々と独白していくシーンとか、パソコンに向かっている5人のOLのうしろにたった部長らしき男性が、わけのわからない朝礼をやるシーンとか。森田氏のねらいは、芝居らしい芝居ではなく、演ずる本人による「自分らしい」芝居なのである。これが難しい。


あらかじめ作って用意しておいたセリフはつまらないからと、16日の本番当日のリハーサルで、変えさせられたグループが何組もあった。しかも、コメントは、それつまんない、何か別のセリフを考えといて、である。私たちの場合は、この組はできているからいいよ、といわれてほっとして戻ろうとしたら、いきなり、でもちょっと場面を追加しよう、フィアンセが男性の家にいったら、ギター伴奏で歌を歌ってくれたということにしよう、といいだす。


何でもいいから早く歌えというので、苦し紛れに「いとしのクレメンタイン」を歌う。まず女性が歌い始めて、肘でつつかれてから、男が歌う、ということになった。歌の方は、フィアンセ役が、プレスリーのラブミーテンダーの方がいいというので、そちらを使うことに変更。歌詞はうろ覚えで、舞台では適当に歌ったのだが、その場の思いつきで、夢みるような感じで立ち上がって歌ったら、結構ウケていたようだったのがうれしい。


やってみて分かったが、しょせん芝居の素人なのである。最初は新鮮でも、何度も同じセリフをしゃべっていると、知らず知らずのうちに、感情がこもらず単調になってしまう。本番直前の変更は、その単調さをふせぐためにどうしても必要なのだろう。それにしても、毎日、場合によっては日に2回も同じ芝居をして、同じテンションを保っているのだから、プロの役者はやはりちがう。


本番直前の変更は、しかし、きつい。ただでさえ緊張しているというのに、さらに精神をかき乱される。本番前に、3人で打ち合わせをやってみたが、結局は出たとこ勝負でいくしかないということになった。


森田氏が何度も強調されていたが、ワークショップの目的は、きれいな芝居をすることではない。むしろ自分が弱点と考えていることを前面にだし、それを受け入れつつ、自分らしい芝居をすることなのである。その結果失敗してもかまわないし、その失敗をも受け入れるということが大切なのだ。実際16日の初日は、途中を飛ばしてしまったりして、予定の半分くらいで終わってしまった。二日目は、私の思わぬ体調不良で、本番直前のリタイアとなってしまったのだが。。。


それにしても実に得難い体験であった。毎日ビデオカメラにさらされ、衆人環視の中、セリフをしゃべるというのに、あがって声がふるえるといったことが一切なかったのが、我ながら不思議である。セリフを思いつくのに必死で、自分がどう見られているかといった自意識が働くゆとりがなかったということかも知れない。


緊張と興奮で、1週間というもの、毎晩酒を飲まないと神経が高ぶって眠れない日々が続いたが、今だにその余韻が残っている。

*1:イッセー尾形と働く人々」。イッセー尾形の公演と連動して開催。イッセー尾形の演出家、森田雄三氏による5日間の演劇指導プログラムの後、舞台(日経ホール)に立つというワークショップ。

*2:あくまでも3人がつくりだす全体の雰囲気の話であって、フィアンセ役の人が実際にそのような雰囲気をもった人ということではありません。念のため。

暑い夜はこれでしのごう

今日も暑い。蒸し暑い。曇りがちであったが、雲が晴れて日が射すと、いかにも真夏である。それでも、まだ梅雨明けではない。来週の予報を見ると、曇りが続き、ときどきは雨も降るらしい。しかし、最高気温はほとんど30度以上で、最低気温は24、5度である。これは熱帯夜ということではないか。はっきりと熱帯夜となぜ言わないのか。梅雨明け宣言なくして、熱帯夜なし。だとすると、ずいぶんと杓子定規なことだ。気象庁はどうでもよい。梅雨明けまだでも我慢しよう。しかし、梅雨が明けないというのであれば、せめて最低気温が20度ちょっとになってくれないものだろうか。東京電力もさぞかし助かることであろう。



我が家の冷房装置は、居間に一カ所あるのみだ。しかもほとんど使わない。我が家は冷房大嫌い派なのである。かわりに、空調ベッド風眠というやつを使っている。これがいい。ベッドに敷くマットの一方にパイプ状のものが取り付けられており、その両端に、ファンがついている。頭のあたりの取り入れ口から入った空気が、プラスチックの小片をつないだ二層の特殊マットの間を流れる際、身体の熱をうばい、足下のファンから排出される。身体の芯から熱がとれる感じで、直接マットに触れていない頭も涼しくなる。冷房はもとより扇風機より身体の負担は少ない。電気代もかなりお得である。部屋は夜でも30度を超えているが、風眠のおかげで、あせもかかなければ、寝つきも良い。節電、体調管理を考えている方々に、ぜひおすすめしたい。


製造元は、もともと冷房なしの工場でも快適に働けるよう、空調作業着を開発した会社である。他にも、デスクワーク用の空調シャツも売り出している。今年は、事務所の冷房もおさえめになるから、試しに買ってみようかとも思ったが、どうも品切れらしい。日本の企業が本気で節電に努めようと言うならば、採用してもいいのではないか。需要が多くなれば、デザインもよくなるであろう。期待したい。

『放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説』

学習院大学理学部の田崎教授が、インターネットに実にわかりやすい解説を書いておられる。中学生以上を念頭においたそうだが、分かりやすいだけではない。教授の現状判断は、良識に満ちたものである。分かっていることと分かっていないことを峻別する、科学的態度に裏打ちされたものだからだろう。ご自身は、放射線「気にしない派」だそうだが、「気にする派」も「気にしない派」もそれぞれ理があるという公平な視点もいい。是非みなさんにも一読していただきたい。以上終わり、でいいのだが、蛇足までに感じたことをいくつか。


わかりやすいという点について
たとえがいい。「シーベルトとかベクレルってなに?」という項目では、イメージのつかみにくい放射線によるダメージを、パンチに例えていて、なるほどと思う。被曝による「確率的影響についての考え方」では、「確率的影響」という、なかなか分かりにくい概念を、商店街の福引きにたとえて、とっつきやすくしている。


科学的態度について
現状をできる限り客観的に把握し、分かっていることと分かっていないことを峻別して判断することが科学的態度である。「後からじわじわ影響が出る場合」のところでは、このように主張されている。


『もちろん、被ばくが少なければ、DNA の傷つき具合も少なくて、ガンになる確率も小さくなる。 どういう具合に小さくなっていくかについていろいろな研究がある。
でも、その答えはちゃんとわかっていない。 そもそもこういうことを調べるためには、理屈をこねたり数式を計算したりするだけじゃダメで、実際に(不幸にして)被ばくしてしまった人がその後どうなったかを追跡調査してデータを集めるしかない。 しかし、被ばくした人の例がそれほど多くないこともあって、被ばくの量が少ないと影響が小さすぎてはっきりとした結論が出せなくなってしまうのだ。』


分からないことについては、慎重に対応という姿勢も科学的である。


『ここまでの「確率の上乗せ」はすべて大人についての話だった。 実は、子供は大人よりも放射線の影響を受けやすいことがわかっている。 体のなかで細胞分裂が活発におきているからだ。
影響がどれくらい大きくなるものか、ぼくには全くわからないが、どうも数倍から十倍くらいなどと言われている。 さらに、子供のあいだ、あるいは若いうちにガンになると人生へのダメージはずっと大きい。 子供については、別格で考えて、大人よりもずっと慎重に被ばくを避けなくてはいけない。』


公平な視点について
確率的影響をどう考えるか、個人の観点と社会の観点、をそれぞれ気にしない派と気にする派の4通りに分けて解説している。


『どの考えもそれなりに筋が通っているので、ぼくとしてはどれを推薦するということはない。 特に、個人としては、自分の趣味とか感じ方とかで、好きな考え方を選んでいいと思う。 』


私は、個人、社会両方「気にしない派」であるが、「気にする派」の気にする自由をとやかくいうべきではない点には、全く同意である。
ただし、と教授は言う。


『政府や地方自治体のように人々を守るべき立場から、個人に【気にしない派】の考えを勧めるのは許されないことだと考えている。 個人には、「気にする自由」があり、また、「気にしない自由」がある。それは政府にとやかく言われることではない。
政府や地方自治体は【気にする派】の人々もなっとくして暮らせるように最大限の努力をしなくてはならない。 だから、政府や地方自治体は【気にする派】にならなくてはいけないとぼくは信じる。』



斬新な視点
「これからどう生活すればいいんだろう?」という項は、小項目の見出しをつなげると自ずから回答となっている。つまり、


「簡単な答えはないと思う」。「気にしない」のもありだと思う」が、「「でも、常識的に考えて・・」はよくないと思う」。なぜなら「やっぱり、今は「ふつうの時」ではない」からだ。


気にしないという立場をとりつつ、気にする派の立場を慮っているのは、「ふつうの時」ではないという認識があるからである。これは重要だ。「気にしない派」であっても、「気にする派」であっても、ともすると意見が先鋭化、過激化するというのは、やはり今が「ふつうの時」でないからなのである。不確実なことが多々ある現状で、一つの態度しか選択できないと思い込むと、自己を正当化するためには、反対意見を過激に叩くということになりがちなのだ。


『ぼくらが経験しているのは世界の歴史に残る悲惨な事故だ。 日本にとっては戦争以来の最大の難関だとぼくは考えている。
だからといって変にパニックになったり大騒ぎしたりする必要はない。でも、逆に、すべてについて冷静で沈着に普段通りにやろうとしなくてもいいんだと思う。』


だから、例えば東京の小学校での水泳授業について、正確なところはよくわからないとしつつ、『不安要素があるんだったら、慎重になってプールは中止っていう学校があっても仕方ない』という。


『来年の夏くらいまでには、いろいろなデータも集まって、どれくらい安全かということがはっきりしているだろう。 それまでは大事をとるというのも一つの選択肢だ。』


教授はこの項を以下の言葉で締めくくる。

『何年か後、いろいろなことが収束した後になってふり返ってみると、けっきょくぼくらは心配しすぎていたということがわかるのかも知れない。というより、そうなってほしいと心から強く願っている。 それでも、「2011 年の夏」は特別な夏であり続けるだろう。 子供たちは、住んでいる場所によっては避難せざるをえなくなり、節電だと言ってクーラーもあまり使えず、プールも中止になり、そして、大人たちが(子供たちを守るために)色々なことを一生懸命に議論していた暑い夏のことをずっと思いだしつづけるにちがいない。』


まったく同感であるとしかいいようがない。

政治的混迷と絵に描いた餅

政治が混迷している。とんでもないどたばた劇を見せられて、いいかげんうんざりだ。不信任案可決が回避されたと思ったら、今度は、いつやめるかを巡ってみにくい言い争い。某都知事は、当面の間というのは、あと2年間の衆議院議員任期のことだと解説したらしいが、管氏のホンネはそんなところだろう。ひと月程度と勝手に理解した方が、おめでたいということだ。


酷いのは、震災の復興をどうすすめていくのか、原発をどうしていくのか、エネルギー政策をどう転換していくのか、といった政策の議論が与野党ともに全くないことだ。態度が傲慢だとか、いかにも子どもじみた感情だけで政局が動いている。かりに管氏がやめて、谷垣氏が総理になったとして、どれだけ違った政策を実施していくのか、きちんと説明したことがあったのか。


それにしても、この人にやってもらいたい、という政治家が誰も見当たらないというのは、どういうわけだろう。政治家の質が低下したのだろうか。池田信夫氏によれば、過去政権をとっていた『自民党にはもともと政策なんかなく、官僚の決めた政策にからむ利権を選挙区に分配するのが政治家の仕事だった。』しかし、『政治が「利益の分配」から「負担の分配」に変わったとき、こうした集金モデルは機能しなくなった』という。つまり、高度成長時代は、利益の誘導だけをやっていればよかった。経済は、右肩あがりで、国民の生活は日々よくなっているから、負担の部分はあまり気にならない。ところが、経済が停滞してくると、誰が負担するかが大問題となってくる。


年金を例にとれば、高度成長時代は人口も増加し、受け取る人に比べて、負担する人が十分多かった。少子化が進むこれからは、誰が年金給付を負担するのかという議論を避けて通ることはできない。若者の負担を大きくするか、給付の削減という形で高齢者の負担とするか、あるいはその両方か、選ばなければならない。どの選択肢を選んでも、誰かが不満だ。利益の分配だけを考えていれば良かった時代はとうに過ぎて、誰もがいやがる負担の分配を考えなければいけない時代になったのである。


池田氏は、『世論を動かす言葉の力』が大切であるとしているが、言葉で説得するためには、相反する利害対立を超えた、日本全体の大きなビジョンを示す必要がある。日本の10年、20年後のあるべき姿を示し、負担もやむなしと思えるよう説得するしかないのである。ところが、そのようなビジョンをもった政治家は全く見当たらないように見える。これは政治家だけの責任なのだろうか。


絵に描いた餅という言葉がある。いくら上手に描かれていても、絵に描いた餅は食べられない。腹の足しになる餅を作ることが大切で、どんな立派なビジョンでも、実現可能性のないものは無意味という考え方だ。これはどうやら日本人の身にしみついているものらしい*1。敗戦後の復興を短期間でやり遂げた背景には、この現実主義があった。しかし、この長所が実は、日本を変革させる上での足かせとなっているのではないか。


敗戦後の復興期は、ともかく先進国においつけ追い越せでやってこれた。目標は具体的に目の前にあり、長期、大局的ビジョンの必要性はほとんどない。官僚は、具体的な目標をもとに政策を立案し、政治家は利益の分配だけに腐心していればよかった。しかし、誰もが納得する目標がなくなった現在、大きなビジョンを提示して、人々を説得していくことが求められているのである。餅を作るだけではなく、美しい餅の絵を描くことにも力を入れなければならない。国民も政治家もまだその準備がない。そんな今の日本を象徴するような政治的混迷である。

*1:例えば、河合隼雄氏も『心の処方箋』でこの点を論じている(「絵に描いた餅は餅より高価なことがある」)

論壇の原発

朝日新聞朝刊の、高橋源一郎氏による「論壇時評」を読むと、その四分の三ほどが、原発関連である。いわゆる知識人と呼ばれる人たちの原子力に対しもっているイメージはこういったものなのだということがよくわかる。最後の部分を引用しよう。


『関(関 曠野氏)は、原子力は本来ニュートン物理学の枠外に位置しているとする。それは、日常の感覚では理解できない種類の存在であり、それ故、人びとを不安に陥れ続けるのだ。一方、中沢は、「生物の生きる生態圏の内部に、太陽圏に属する核反応の過程を『無媒介』のままに持ち込んだ」原子力発電は、他のエネルギー利用とは本質的に異なり、我々の生態系の安定を破壊する、とした上で、さらに踏み込んで、本来そこに所属しない「外部」を、我々の生態圏に持ち込む有り様は、一神教と同じとする。「原子力技術は一神教的な技術」であり、「文明の大転換」を試みねばならない、という中沢の主張は、いま、奇異には聞こえない。』


関氏の論文は、現代思想5月号にのった「ヒロシマからフクシマへ」、中沢氏は、すばる6月号の「日本の大転換(上)」とのことである。両方とも読んでいないから、高橋氏の要約を中心に論ずることをお断りしておきたい。


印象的なのは、原子力や核反応の話を『日常の感覚では理解できない種類の存在であり、それ故、人びとを不安に陥れ続ける』存在ととらえていることである。中沢氏にいたっては、『太陽圏に属する』話とまで言っている。


確かに、日常的な感覚では理解できないかも知れない。目に見えないし、被曝しても、致死量でない限り、その影響はただちには分からない。しかし、核分裂は、『生物の生きる生態圏』によく見られる現象なのである。我々自身、放射線を放出している。


カリウムは、水や食物などを通して、私たちの体の中に取り込まれ、常に約200g存在します。その内の0.012%が放射能を持っています。すなわち日常的に360,000,000,000,000,000,000個の ”放射性”カリウムが、体内に存在しています。』
『”放射性”カリウムは、体内で1秒間当たり6,000個だけ、別の物質(カルシウムまたはアルゴン)に変わります。これを「崩壊」と呼んでいます。そして、崩壊と同時にそれぞれの”放射性”カリウム放射線を放出します。』*1


別のデータによれば、人の隣に寝ることによる被曝量は、0.05μSvで、カリウムを豊富に含むバナナ一本を食べると、被曝量は0.1μSvだそうだ。


原子力の燃料にしても、核分裂性のウラン235が約0.7%含まれている、天然ウランを使っている。濃縮はしているが、それでも『天然』であり、『太陽圏』の話ではない。天然の原料を加工して使っている点において、石油や石炭と何ら変わるところはない。そもそも太陽のエネルギー源は、核融合であって、核分裂ではない。


インターネットで調べたところ、関氏の論文には、次のような記述があるという。
原発はもともと核反応という非ニュートン的現象をニュートン物理学の技術の枠内で制御しようとする原理的に矛盾し当初から破綻した技術なのである。』


『核反応』を『非ニュートン的』としたり、『ニュートン物理学の技術』などといったり、ずいぶんとおかしな言い方である。ウイキペディアによれば、『現代の物理学の視点では、ニュートン力学は「われわれが日常扱うスケールでは有効な理論」あるいは「日常的なスケールでの近似理論」とも捉えられている』そうであるから、氏の言いたいのは、日常的スケールの技術で、目に見えず、日常的でもない「核反応」を制御しようというのには無理があるということなのだろう。


しかし、核分裂の制御技術は、17世紀のニュートン物理学ではなく、現代の原子物理学を応用した技術である。技術に問題があるとしても、それは『原理的な矛盾』ではなく、単に応用がうまくいっていないというだけのことだ。


レントゲン検査やガンの放射線治療も、氏の言葉を借りるならば、『非ニュートン的現象をニュートン物理学の技術の枠内で制御』しているものだが、特に『破綻した技術』でないように見えるのは、慶賀の至りである。


揚げ足取りに聞こえるかも知れない。しかし、原理的に問題であるかどうかは、本質的な問いだ。もしそれが原理的な問題であれば、技術の進歩改良によっては解決できないということになる。原理ではなく、応用の問題であるとすれば、解決の可能性は残されていることになる。


ふたりとも(そしてその引用の仕方から見て、高橋氏も)、原理的な問題ととらえ、従って、技術進歩では解決不能とみているのだろう。背景にあるのは、結局、原子力放射線もよくわからない、よくわからないものは怖いといった心理ではないか。


物理学者寺田寅彦に、『ものを怖がらな過ぎたり、怖がりすぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることは、なかなかむつかしい」という言葉があるそうだ。私が怖がらなさ過ぎなのか、それとも彼らが怖がりすぎなのだろうか。