原発だけがコントロールできないのか

またも原発の話で恐縮である。マッサージはりきゅう院のボードまで、あたりまえのように原発を語っている昨今であるから、むしろ、触れない方がおかしいかもしれない。


ある人は、いくら想定外の津波に遭遇したといっても、これだけの被害をまきおこしたのであるから、原子力は人間によってコントロール不能な技術なのであるという。仮に今回の津波地震に対応する施設を作ったとして、さらにその想定を超えた災害が起こったらどうするのかというのだ。


しかし、である。東日本大震災により15千人を超える人がなくなっているが、その9割以上が津波による水死である。津波よけの堤防はあったにしても、想定外の規模の津波を防ぐことはできず、これだけの犠牲者がでた。仮に今回の津波地震に対応する防波堤を作ったとしても、さらにその想定を超えた災害が起こったら、やはり相当の犠牲者がでることだろう。太平洋沿岸部にすむということは、人間のコントロール不能な「技術」なのではないだろうか。


屁理屈だと言われるかも知れない。原発は、代替可能な発電技術である。多少高くついたとしても火力発電をふやし、太陽光発電の実用化などを推進すればよい。事故が起きたときの補償や核廃棄物の処理コストもいれたら、決して原発は安くはない。


生まれ故郷に住み続けたいという人々の思いは、かけがえのないものであり、別の土地に移転させてそれですませるというわけにはいかない。津波の恐ろしさを知りつつ、住み続けざるを得ないという人も多いだろう。


そういう批判は覚悟の上、敢えて言うならば、犠牲者が多い方をより問題にすべきなのである。日本は地震国だから、原発は無理だという。しかし、地震による被害者は、原発に関連してはいまのところゼロだが、建物の崩壊などにより、阪神淡路大震災では6千人を超える犠牲者がでた。浜岡原発をとめる根拠となった東海地震では、死者は最大1万人と想定されている。それでも、だから東海地方にすむのをやめましょうという話にはならない。


東京の放射線量は、全く問題ないと政府が発表しても信用しないが、東海地震の確率87%は無条件に信用する。福島原発事故で東京があぶないと関西に避難した人も多くいたが、東海地震で1万人も死ぬかも知れないというのに、今のうちに引越ししようなどとは決して考えない。地震対策を立てるからよいというかもしれないが、原発だって同じだ。想定外の災害に耐えられないのは、原発も地域住民も同じ。それでも、原発にだけ反対する。不条理である。


私は、別に原発推進をとなえているのではない。むしろ、廃棄物の処理に相当の時間とコストがかかるにもかかわらず、そのシステムがまったくできていない現状を知るにつけ、長期的には原発の全面廃止もやむを得ないのではないかと思っている。ただ、やみくもに怖いから反対というのでは、原子炉の安全な廃棄はできないとも考える。


今は、原発断固反対と思っている人も、福島原発が落ち着いたら、原発の問題などなかったかのように忘れることだろう。尖閣列島沖の中国漁船とのトラブルをきっかけに対中関係悪化と騒がれていたときから、まだ1年もたっていない。今はだれが気にしているだろうか。


それでは、困るのである。皆の関心が失われている間に、こっそりとおかしな処理が行われたのではかなわない。原発の処理は、何十年単位の話である。冷静に議論し、合理的な判断をしていかないと、後でまた悔いることになる。

浜岡原発停止要請

5月6日、首相は緊急記者会見を行い、静岡県浜岡原発の3〜5号機の停止を要請すると発表した。1、2号機は既に運転を終了しているから、全面停止ということだ。この発表には、当然賛否両論がある。原発の安全性について強い危惧をだいている人たちは、首相の英断であると賞賛している。支持率をあげようという声すらある。


一方、いつものスタンドプレイと批判する向きもある。例えば、福島の事故は、非常用電源の喪失によるもので、その対策を行っている浜岡を停止する理由がないという。夏場のピーク需要対応も問題である。読売新聞によれば、「中部電力の電力供給力は、従来計画の2999万キロ・ワットから約2600万キロ・ワット強に低下する見通し」で、「猛暑だった昨夏の需要ピーク時(2621万キロ・ワット)に比べ余力がほとんどない状態と見られ、夏場に向け、計画停電や節電要請などの需要抑制策を迫られる可能性がある」そうである。首相は、最大限の対応をすることで乗り切れるというが、その「最大限の対策」の具体的な内容を提示すべきだとの批判もある。さて、どちらをとるべきか。


まず福島原発の事故原因を詳細に検証することが先である。同程度の地震津波に襲われた福島第二や女川は、問題なく停止しているのである。なぜ福島第一だけが事故を起こしたのか、その原因の究明なくして、きちんとした対応が可能とはとても思えない。大前研一氏や池田氏は、福島第一の事故原因は、非常用電源の問題としているが、説得力があると思う。


さらに、小飼弾氏が指摘するように、福島第一の4号機は、停止してから時間がたっていたにもかかわらず、使用済み燃料棒を入れていたプールの冷却停止のために水素爆発を起こしたのである。浜岡も、3〜5号機のみならず、運転終了中の1、2号機にも使用済み燃料が保管されているという。停止しただけではだめで、使用中、使用済みの燃料棒すべてを移動させなければ、安全とはいえないのだ。国内に受け入れ先はないらしいのに、どこに移動させるのだろう。


事故原因の究明は、航空機事故や鉄道事故などでは当然のことであるのに、こと原発となると、恐怖が先にたつのか、ともかく停止という反応になってしまう。原因を知ろうとしないから、燃料棒の移動なしには安全とはいえないという発想がでてこないのである。


まずは原因の徹底究明であり、その上で対策を検討し、停止が必要とされる原発があれば、浜岡にかぎらず停止させるべきだ。その際には、不足する電力をどうおぎなうのか、原発を代替する発電所の建設も視野にいれて計画しなければならない。そういった検討なしに、唐突に浜岡のみ停止ということであれば、国民の安全のためではなく、「政治の安全のため」止めたというそしりをまぬがれないであろう。

震災対策特別避難訓練始末

知っている人も多いと思うが、「震災時帰宅支援マップ」というものがある。東京で直下型の地震があった場合、最低3日間は交通機関が麻痺すると予想されている。その際歩いて帰宅するため、「東京都選定の帰宅支援対象道路および隣接する各県の緊急輸送路をもとに、弊社(昭文社)が独自に選定した帰宅支援ルートを紹介した地図」とのことだ。通常の地図と違うところは、ルートにそってトイレやコンビニ、ベンチや広場、広域避難場所といった災害時に直接役立つ情報が盛り込まれていることである。


手持ちのマップは、2005年出版のもの。つまり2005年から必要性を認識していたし、一度は予行演習をしてみなくてはと思っていたのだ。そして、今回の3.11災害である。6年ぶりに重い腰をあげ、ゴールデンウイークを利用して、避難訓練を決行したのであった。息子や娘に遊んでもらえないし、他にいくあてもなし、という事情も大きくモノを言っていることはいうまでもない。


さて、3日10時半、神田錦町の会社のビルを出発した。渋谷、二子玉川を経由して、田園都市線沿線を歩く。災害時を想定するなら、スーツに革靴で歩くのが筋であろうが、とりあえずの感触をつかむためと割り切り、ちょっとした登山にも使うウォーキングシューズに長袖Tシャツに綿パンツと、動きやすさを重視した。曇りでやや肌寒く、歩くにはもってこいの天気である。


最初は、好調であったのだ。皇居の周りの桜は既に散って久しいが、木々の新緑は燃えるようであるし、ツツジの花がきれいだ。思わぬ発見もある。麹町から紀尾井町ホテルニューオータニに向かう途中で、清水谷公園を通ったが、都会の真ん真ん中のちょっとした谷間に、うっそうと木の茂ったこんな公園があるとは、驚きだ。赤坂見附青山通りに入って渋谷に向かう。豊川稲荷の大きさにびっくり、よほど中に入ろうかと思いつつ、避難訓練であると自らを戒める。ブラタモリはまたの機会だ。


迎賓館あたりは道路も歩道も広く、これで歩道にカフェでもあれば、シャンゼリゼに匹敵するのでは、と思ったりする。青山から人が増えてきたが、周りはおしゃれな店やビルが建ち並び、いい気分で歩く。表参道で立派なケヤキ並木の道を横切る。その先は明治神宮である。普段は全く意識しないが、表参道は、明治神宮の表の参道なのだと改めて思う。このあたりまでは、快調にとばしていた。記録を見ると、時速4.7キロである。渋谷までほとんど休憩をとらず、7.7キロを1時間40分程度で走破した。


様子が一変したのは、渋谷からだ。渋谷駅周辺がごみごみしている。玉川通りに抜けるガード下など、ホームレスの方々の住居となっている。玉川通りもなんだかうっとうしい。歩道がせまいし、車道も渋滞だ。なによりも、玉川通りの上を走る首都高の高架が醜い。蓋となって空を塞ぎ、うっとうしい限りだ。さらに、飛ばし過ぎがたたったか、足がだんだんと痛くなってきたのである。


総距離約24キロといっても、ほとんど平地である。登山に比べれば、なんてことはない。時速5キロで歩いたとして、5時間はかからない。たいした山ではないとはいえ、5時間程度の登り下りは何度も経験している。と思ったのがいかに間違っていたか、痛切に感ずることとなった。三軒茶屋で昼食をとって、二子玉川になんとか着いたときには、やめて電車で帰ろうかと考えたほどだ。


疲れはそれほどでもない。登山と違って、心臓にも負担はない。しかし、足が痛む。右太ももの裏とふくらはぎ、左太ももの付け根の痛みがどんどんと増してきたのである。20分ほど休んで、我が身を叱咤激励して歩き続ける。既に3分の2は過ぎている。あとちょっとの我慢を惜しんで後で後悔しないか。しかし、泣きっ面に蜂、雨まで降り出した。溝の口を過ぎて梶ヶ谷まで来たときには、痛みの酷さに耐えられず、モスバーガーで30分の休憩をとることにした。


このあたりは、記録を見ると時速4キロののろのろ運転である。宮前平を過ぎたときには、日は暮れかかり、雨も土砂降りだ。携帯用のちゃちな傘では、頭と胸のあたり以外はびしょぬれである。ほとんど足を引きずるようにして自宅に着いたのが、5時20分であった。ほぼ7時間かかったことになる。翌4日になっても足の痛みは消えず、ほとんど寝たきり生活。今日になってようやく顛末を書く気力がでてきたのであった。


被災時には、家も混乱の極みで、下手をすれば避難所くらしかも知れない。翌日まで筋肉痛で寝たきりというのでは、話にならない。平地で、心臓の負荷が小さいので、疲れをあまり感じないまま、休みをほとんどとらずに3時間近く歩いたのがまずかった。もっとこまめに休みをとっていたら、痛みも最小限に抑えられていたのではないか。


革靴であるくなどとても考えられないから、会社にウォーキングシューズを常備しておこう。それでも、交通機関がすべてストップという状況であれば、亀裂や崩壊した建物などで、道路も相当に歩きづらくなっているはずだ。多摩川の橋が通行不能ということもあり得る。10時間はかかると見ておくべきだろう。一晩どこかで過ごし、日が昇ってから歩き始めるしかない。自転車があればベストなのだが。


散々であったのだが、それでも、休みなしで歩けば5時間という見通しがいかに甘いか、分かっただけでも収穫という憲法記念日であった。

「放射能」の恐怖

先週、出張からの帰りにのったバンコクからのフライトは、がらがらであった。ビジネスクラスは、四分の一くらいしか埋まっていない。外国人の姿が見えないところを見ると、福島原発事故のレベルが7にあがったことに恐れをなしたのだろう。乗客が少なくて乗り込む時間がかからないためか、飛行機は定刻に出発し、予定より20分くらい早く到着した。まさか機体が軽くてスピードが速くなったという訳ではないだろうけど。私にとってはいいことづくめだが、航空会社はお気の毒である。


他にも、日本産の魚、野菜を輸入禁止にした国があったり、放射物質に汚染された雨を恐れて、学校を休講にしたりするお隣さんがあったりする。外国ばかりではない。福島からの避難民受け入れに際して放射線測定を要求したり、受け入れ先の学校で、避難してきた子どもが近づいてくると逃げ出す生徒がいるとか。どうかしている。「放射能」に対して、いかに恐怖心が根強いか、今回の事件のおかげで、あらためて気がつかされた。


私も、「放射能」には漠然と怖いものというイメージをもっていた。原発事故のせいで、否応なくあれこれ調べるうちに、むしろ恐怖心はなくなってきた。扱い方を誤ると、大変危険ではある。が、別に疫病のように人にうつるものでもない。それを浴びたらたちどころにガンにかかってしまうといったものでもない。ある程度の放射線は、原発事故以前から毎日浴びていたのである。問題は、浴びる量である。


量が問題なのは、なにも放射線に限らない。紫外線は、浴びすぎれば皮膚がんを引き起こす。目にも良くない。自動車の排気ガスだって、相当量を毎日吸っていれば、よくて気管支炎、悪ければ肺がんだ。福島原発の燃料棒の処理には、これからもかなりの困難が続くだろう。考えるだけでも気がめいる。だからといって、核爆発を起こすだの、チェルノブイリなみの被害を及ぼすなど、ありそうもないことを恐れていても仕方ないのである。


我々は、日々意識はしていなくとも、あらゆる場面で、判断を下すことを迫られている。どうせ誰に入れても大差ないから、市会議員選挙はパス、というのも消極的ではあるにせよ、一つの判断である。誰が市会議員になっても、日常生活がただちに脅かされるということはない。なんとかなるさとたかをくくって、平凡な日常生活を続けていればいいのである。しかし、今回のような事態となると、話が違ってくる。否応なく自主的な判断を強いられるのである。どうしたらいいのだろうか。相手は「放射能」という高度に専門知識の必要な案件である。


声高に、危険を強調する者に同調するというのも、一つの選択だ。最悪の事態を想定するというのは、確かに危機管理の要諦である。しかし、ものには限度というものがある。福島原発が核爆発を起こすという者はいても、そのために日本全土が壊滅状態におちいるから、日本人全員が海外移住せよ、というものはいないだろう。いるかも知れないが、さすがに相手にはされないだろう。では、なにが最悪なのか、それはどうやって判断すればよいのか。


私は、原発や、放射線を過度に恐れる必要はないという立場だ。しかし、それと同時に、私は、自分の判断が絶対的なものとは、決して思ってはいない。自分の判断のよってたつ、いわゆる専門家の人々の意見でも、間違えることがあると思っている。だから、自分の確信を覆すような事実を知ったら、いつでも意見をかえる心構えがある。いまのところ、そういった必要は感じていないだけである。

運行は戻ったが

今週から、通勤に利用している電車が朝夕のラッシュ時だけ、ほぼ旧ダイヤに復帰した。くだりエスカレーターは停止したままで、電灯をまびかれた駅舎は薄暗いが、ようやく正常化した。と喜んだのもつかのま。電車が以前のように遅れるようになった。


計画停電に合わせて急行をやめ、普通電車を間引いて運転していたころは、確かにどの電車もかつての急行なみに混むようになった。本を読むこともままならず、iPodを聞きながら、じっと立っているしかない。その一方で、通勤時間は確実に10〜15分は減ったのだ。これは、驚きであった。


かつては、混雑する主要駅に近づく前に、必ず徐行運転か、数分間の停止があったのが全くなくなり、駅間ノンストップで運行されるようになったからだ。急行と普通の混在する複雑なダイヤによって、普通電車が急行を待ったり、逆に急行が普通電車の待機を待つ間徐行したりする。そういった非効率な時間がなくなった。さらには、電車と電車との間隔が長くなったことで、前の電車の乗客の乗り降りに多少時間がかかっても、長めの間隔で吸収し、電車を止める必要がなくなったのだろう。


それが、急行を再開したおかげで、ご破算になってしまった。車掌の、電車が遅れてすみませんコールはやめろ。無意味だ。遅れなかったときだけアナウンスしろ、と以前は毎日思っていたのだが、それが復活したのである。


悪いことには、急行は復活したものの、総本数が以前を下回るせいか、普通電車の混み具合は、間引き運転期間とほとんど変わらないのだ。これはひどいね。旧ダイヤより遥かに混んでいるのに、電車の遅れは旧ダイヤなみ。悪いとこどりし放題。


地震でいいことがあったとすれば、通勤時間の短縮くらいしかなかったのだ。計画停電モードにもどしておくれ。その方が良かったと君も思っているはずだ。おねがいだ。シンプルでいこう、シンプルで。

冷却まであと5年!?

ツイッター情報から、大前研一氏の福島原発事故解説が優れているというので、早速動画を見た。なるほど、事故の直接原因のみならず、制度的背景にも目が行き届いており、非常に説得力がある。原子力エンジニア出身という大前氏の、面目躍如たるものがある。



政府、東電の無能無策ぶりを糾弾しているが、同時に、現状の放射線の状況であれば、30キロの避難範囲は妥当ともいっている。また、原子炉が暴走してしまったチェルノブイリのような状態におちいることもないという。


驚いたのは、燃料棒を移動できる程度まで冷却するのに、あと3〜5年はかかるという点だ。今の今まで、せいぜい数ヶ月か、長くとも1年くらいでかたがつくと、漠然と思っていたのである。しかも、冷却がうまくいったとしての3〜5年である。冷却されるまでは、核燃料は放射線を出し続けるから、建物の修復もままならない。大前氏は、安定的に冷却するための設備を作った上で、原子炉6基全体を、巨大な東京ドームのようなテントで覆えば、放射性物質の拡散を防ぐことができるし、避難区域をもっと狭めることも可能とする。ぜひやってほしいものだ。政府や東電の連中は、長期的な対策を検討しているのだろうか。その節は全くうかがわれないのだが。


原子炉の建物の中に使用済み燃料棒が貯蔵されていたことが、問題をさらに大きくした。それは、持って行き場がなかったためだという。本来ならば、最終処理施設に運ぶまでの10〜50年間(!!)貯蔵しておく中間貯蔵施設に運んでおくべきだったのだが、建設予定地すべての強固な反対にあって、いまだに建設できていないのだそうだ。こういったレベルの話まで、解説してくれた記事を私は知らない。


今回の事故の技術的解説にととまらず、政府の原子力政策の欠陥、危機管理体制の欠如、東電の隠蔽体質、東電内における原子力部門への異端視、といった制度面の問題点、さらには、原子力政策面での国際的な影響も詳しく分析していて、大いに参考になる。また、今後取るべき方策も傾聴に値する。ぜひ一見していただきたい。


ただ、動画最後の、大前氏主催のBBT Universityの宣伝には、やや力が抜けてしまった。国際派ビジネスマンとしてのスキルアップを望まない人は、スキップした方がいいかも。

エコノミストの地震報道

ダッカでは、ほこりのせいか、のどをやられて風邪をひいてしまい、最後の3日ほどは散々であった。抗生物質でなんとか持ち直して、23日に無事帰国。出張の後始末やなんやかやで、今日初めて3月19日付け、エコノミスト誌東京特派員の地震レポートをポッドキャストで聞いてみた。外国人が、今回の災害をどのように見ているか、大いに興味があったのである。


内容はだいたい次の通りだ。まず日本人を、困難に直面しても、強固な共同体意識で克服していく強い国民と評価している。今回の沿岸地帯の被災者は特に強く、インタビューした被災者がよく笑うことが印象的だという。乏しい配給にも不満をもらさず、被災地に戻って、再建すると力強く語っていたそうだ。


第二に、政府の情報公開の程度には、改善されたとはいうものの強い不満をもらしていた。これだけ組織化された社会が、情報公開に関しては、カオスであるのはおかしい(ridiculous)*1このように透明性にかける状況では、近代国家とはいえないと厳しい。


第三に、避難勧告について、30キロ以内とする日本政府と、50マイル(約80キロ)以内とするアメリカ政府の食い違いについて、面白い見解を示していた。両者の違いは、持っている具体的データではなく、対策の背景にある、メンタルアプローチだというのである。


日本は、現状を分析し、その上で必要な対応をとる。その時点の放射線量や原発の破損状況を判断して、30キロで十分とした。事態が変わったら、その時点でまたふさわしい対応をとる。このやり方は、非常に実際的(pragmatic)であるが、事態が予想外の速度で進展した場合に、対策が後手に回ってしまうという問題がある。


アメリカの場合は、先を見越した計画を立てるのが得意である。事態は常に変わりうるとの状況判断がまずある。30キロの避難範囲は、国際的標準からしても十分な距離であり、アメリカも同意するはずだ。しかし、事態が変化しないならば、それでもいいかも知れないが、急変する恐れもある。それを見越して、より慎重な対応をとったのだという。現状に即した対応の日本に対して、悪い方への変化を想定した対応のアメリカという違いであったというわけだ。


アメリカ式の対応は、事態が急変する可能性の高い場合に強みを発揮するが、結果としてオーバーリアクションになる恐れがある。それぞれ一長一短があり、どちらが優れているとはいえないと思う。80キロがオーバーリアクションであるかどうかは、もうしばらく様子を見て判断する必要があるが、原発事故の初期対応を見る限り、日本政府/東電の対応は明らかに後手後手だ。大切なのは、二つのアプローチの長短をよくわきまえた上で、その時の状況に対応する上での、もっとも適切な手段を講じることだ。


そのアメリカでさえも、250キロ離れた東京から避難せよとは行っていない点は、よく考える必要がある。今の時点でも、あきらかにオーバーリアクションなのである。

*1:たしか、政府の公式発表に、記者クラブ以外の海外メディアを入れるようになったのは、ついこの2、3日前のことではないかと思う。