震災対策特別避難訓練始末

知っている人も多いと思うが、「震災時帰宅支援マップ」というものがある。東京で直下型の地震があった場合、最低3日間は交通機関が麻痺すると予想されている。その際歩いて帰宅するため、「東京都選定の帰宅支援対象道路および隣接する各県の緊急輸送路をもとに、弊社(昭文社)が独自に選定した帰宅支援ルートを紹介した地図」とのことだ。通常の地図と違うところは、ルートにそってトイレやコンビニ、ベンチや広場、広域避難場所といった災害時に直接役立つ情報が盛り込まれていることである。


手持ちのマップは、2005年出版のもの。つまり2005年から必要性を認識していたし、一度は予行演習をしてみなくてはと思っていたのだ。そして、今回の3.11災害である。6年ぶりに重い腰をあげ、ゴールデンウイークを利用して、避難訓練を決行したのであった。息子や娘に遊んでもらえないし、他にいくあてもなし、という事情も大きくモノを言っていることはいうまでもない。


さて、3日10時半、神田錦町の会社のビルを出発した。渋谷、二子玉川を経由して、田園都市線沿線を歩く。災害時を想定するなら、スーツに革靴で歩くのが筋であろうが、とりあえずの感触をつかむためと割り切り、ちょっとした登山にも使うウォーキングシューズに長袖Tシャツに綿パンツと、動きやすさを重視した。曇りでやや肌寒く、歩くにはもってこいの天気である。


最初は、好調であったのだ。皇居の周りの桜は既に散って久しいが、木々の新緑は燃えるようであるし、ツツジの花がきれいだ。思わぬ発見もある。麹町から紀尾井町ホテルニューオータニに向かう途中で、清水谷公園を通ったが、都会の真ん真ん中のちょっとした谷間に、うっそうと木の茂ったこんな公園があるとは、驚きだ。赤坂見附青山通りに入って渋谷に向かう。豊川稲荷の大きさにびっくり、よほど中に入ろうかと思いつつ、避難訓練であると自らを戒める。ブラタモリはまたの機会だ。


迎賓館あたりは道路も歩道も広く、これで歩道にカフェでもあれば、シャンゼリゼに匹敵するのでは、と思ったりする。青山から人が増えてきたが、周りはおしゃれな店やビルが建ち並び、いい気分で歩く。表参道で立派なケヤキ並木の道を横切る。その先は明治神宮である。普段は全く意識しないが、表参道は、明治神宮の表の参道なのだと改めて思う。このあたりまでは、快調にとばしていた。記録を見ると、時速4.7キロである。渋谷までほとんど休憩をとらず、7.7キロを1時間40分程度で走破した。


様子が一変したのは、渋谷からだ。渋谷駅周辺がごみごみしている。玉川通りに抜けるガード下など、ホームレスの方々の住居となっている。玉川通りもなんだかうっとうしい。歩道がせまいし、車道も渋滞だ。なによりも、玉川通りの上を走る首都高の高架が醜い。蓋となって空を塞ぎ、うっとうしい限りだ。さらに、飛ばし過ぎがたたったか、足がだんだんと痛くなってきたのである。


総距離約24キロといっても、ほとんど平地である。登山に比べれば、なんてことはない。時速5キロで歩いたとして、5時間はかからない。たいした山ではないとはいえ、5時間程度の登り下りは何度も経験している。と思ったのがいかに間違っていたか、痛切に感ずることとなった。三軒茶屋で昼食をとって、二子玉川になんとか着いたときには、やめて電車で帰ろうかと考えたほどだ。


疲れはそれほどでもない。登山と違って、心臓にも負担はない。しかし、足が痛む。右太ももの裏とふくらはぎ、左太ももの付け根の痛みがどんどんと増してきたのである。20分ほど休んで、我が身を叱咤激励して歩き続ける。既に3分の2は過ぎている。あとちょっとの我慢を惜しんで後で後悔しないか。しかし、泣きっ面に蜂、雨まで降り出した。溝の口を過ぎて梶ヶ谷まで来たときには、痛みの酷さに耐えられず、モスバーガーで30分の休憩をとることにした。


このあたりは、記録を見ると時速4キロののろのろ運転である。宮前平を過ぎたときには、日は暮れかかり、雨も土砂降りだ。携帯用のちゃちな傘では、頭と胸のあたり以外はびしょぬれである。ほとんど足を引きずるようにして自宅に着いたのが、5時20分であった。ほぼ7時間かかったことになる。翌4日になっても足の痛みは消えず、ほとんど寝たきり生活。今日になってようやく顛末を書く気力がでてきたのであった。


被災時には、家も混乱の極みで、下手をすれば避難所くらしかも知れない。翌日まで筋肉痛で寝たきりというのでは、話にならない。平地で、心臓の負荷が小さいので、疲れをあまり感じないまま、休みをほとんどとらずに3時間近く歩いたのがまずかった。もっとこまめに休みをとっていたら、痛みも最小限に抑えられていたのではないか。


革靴であるくなどとても考えられないから、会社にウォーキングシューズを常備しておこう。それでも、交通機関がすべてストップという状況であれば、亀裂や崩壊した建物などで、道路も相当に歩きづらくなっているはずだ。多摩川の橋が通行不能ということもあり得る。10時間はかかると見ておくべきだろう。一晩どこかで過ごし、日が昇ってから歩き始めるしかない。自転車があればベストなのだが。


散々であったのだが、それでも、休みなしで歩けば5時間という見通しがいかに甘いか、分かっただけでも収穫という憲法記念日であった。