エコノミストの地震報道

ダッカでは、ほこりのせいか、のどをやられて風邪をひいてしまい、最後の3日ほどは散々であった。抗生物質でなんとか持ち直して、23日に無事帰国。出張の後始末やなんやかやで、今日初めて3月19日付け、エコノミスト誌東京特派員の地震レポートをポッドキャストで聞いてみた。外国人が、今回の災害をどのように見ているか、大いに興味があったのである。


内容はだいたい次の通りだ。まず日本人を、困難に直面しても、強固な共同体意識で克服していく強い国民と評価している。今回の沿岸地帯の被災者は特に強く、インタビューした被災者がよく笑うことが印象的だという。乏しい配給にも不満をもらさず、被災地に戻って、再建すると力強く語っていたそうだ。


第二に、政府の情報公開の程度には、改善されたとはいうものの強い不満をもらしていた。これだけ組織化された社会が、情報公開に関しては、カオスであるのはおかしい(ridiculous)*1このように透明性にかける状況では、近代国家とはいえないと厳しい。


第三に、避難勧告について、30キロ以内とする日本政府と、50マイル(約80キロ)以内とするアメリカ政府の食い違いについて、面白い見解を示していた。両者の違いは、持っている具体的データではなく、対策の背景にある、メンタルアプローチだというのである。


日本は、現状を分析し、その上で必要な対応をとる。その時点の放射線量や原発の破損状況を判断して、30キロで十分とした。事態が変わったら、その時点でまたふさわしい対応をとる。このやり方は、非常に実際的(pragmatic)であるが、事態が予想外の速度で進展した場合に、対策が後手に回ってしまうという問題がある。


アメリカの場合は、先を見越した計画を立てるのが得意である。事態は常に変わりうるとの状況判断がまずある。30キロの避難範囲は、国際的標準からしても十分な距離であり、アメリカも同意するはずだ。しかし、事態が変化しないならば、それでもいいかも知れないが、急変する恐れもある。それを見越して、より慎重な対応をとったのだという。現状に即した対応の日本に対して、悪い方への変化を想定した対応のアメリカという違いであったというわけだ。


アメリカ式の対応は、事態が急変する可能性の高い場合に強みを発揮するが、結果としてオーバーリアクションになる恐れがある。それぞれ一長一短があり、どちらが優れているとはいえないと思う。80キロがオーバーリアクションであるかどうかは、もうしばらく様子を見て判断する必要があるが、原発事故の初期対応を見る限り、日本政府/東電の対応は明らかに後手後手だ。大切なのは、二つのアプローチの長短をよくわきまえた上で、その時の状況に対応する上での、もっとも適切な手段を講じることだ。


そのアメリカでさえも、250キロ離れた東京から避難せよとは行っていない点は、よく考える必要がある。今の時点でも、あきらかにオーバーリアクションなのである。

*1:たしか、政府の公式発表に、記者クラブ以外の海外メディアを入れるようになったのは、ついこの2、3日前のことではないかと思う。