音楽と知性

簡単に傑作をものするといえば、モーツアルトの話を思い出しました。モーツァルトは、頭に浮かんだ曲を一気に譜面に書き下ろし、訂正することも無かったという逸話を聞いたことがあります。念のためウィキペディアを調べて見ると、『下書きをしない天才』といわれていたが、『自筆譜の中には完成・未完成曲含めて草稿及び修正の跡が多く発見されている』そうです。

優雅な天才作曲家のイメージががらがらと崩れ落ちたのは、映画「アマデウス」を見てからで、けたたましい声で笑い、騒ぎ、下ネタ連発のモーツァルトに唖然としました。天才作曲家というと、どうしても知的にも人格的にも高潔なイメージを思い浮かべてしまいます。しかし、音楽の才能と知性や品性は、必ずしも関係ないのではないか。

ピアニストの中村紘子は多才な方で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「チャイコフスキー・コンクール」や、「ピアニストという蛮族がいる」など、興味深い文章を書いています。うろ覚えですが、確か後者の本です。外国のピアニストに、日本では、音楽家は知的で上品と見られていると話したら、笑って、『ホロヴィッツに猫の額ほどの知性も期待するやつがいるか?』と言ったそうです。

その中村紘子のコンサートに行ったときのこと。パンフレットを見ると、『中村紘子氏は、ピアニストとして国際的に高名であるのみならず、文筆活動でも賞を受賞するなど、文武両道の活躍をされています』とある。なるほどね。ピアノは、「蛮族」のやる「武道」だったんですね。