日本人と宗教性(2)

経済原理からすれば、若手の言うとおりなのです。中国製は、安いが品質はそれほど良くない。日本製は、品質は最高かもしれないが、顧客にとってそれほどの高品質は必要でないので、安い方を選ぶ。国際競争に勝つには、品質が落ちても安いものを作るしかない。それはその通りなのですが、日本人の宗教性はどうなってしまうのか。上司の人が怒ったのは、物づくりにこめられた宗教心を捨てさることに対して、ということなのではないでしょうか。

今後は、経済原則がますます優位になっていくでしょう。そうなったら、欧米人のように、自覚的に宗教心を持たない日本人は、どうなっていくのか。物つくりには、もうこだわらない。神などはどこにもいないのだ。それはそれで結構なのですが、それで何の問題もないのだろうか。

河合氏は、そういった宗教心の空白に入り込んだのが、オウム真理教であったといいます。私たちは、何も信じないで平然と生きていることはできないのではないか。何も信じていないという人が、案外つまらない迷信や、占いや占星術を本気にしたりしている。スピリチュアルブームとかで、なんだか怪しげなご託宣を無邪気に受け入れたりしている。

伝統の宗教心がなくなっていくのは仕方ないことですが、その後を、何か別の、信頼するに足るもので埋めておかないと、それこそオウム真理教のような邪悪なものが入り込んでしまうのではないでしょうか。無宗教ですと言って、平然としていられるような、ある意味幸福な時代ではなくなった、そんな気がします。