日本人と宗教性

河合氏は、日本人が「日常の一つ一つの中に、ものすごい超常性を常に感じている」といいます。だから、日本人がものをつくると、「やたら凝りだします。このへんが歪んでいたら嫌だとか言って、やり直したり、ものすごい細かいことをちゃんとや」る。「これがいい結果を生んで」、「日本の工業製品というのはすごく品質のいい物ができる」。日本人は、「仕事をきれいにするという中に宗教性が入って」おり、「完全な品というものと完全なる神というものは、どこかで対応している」というのです。

氏の解釈は、我々日本人の伝統的宗教心をよく説明していると思います。そして、現在我々の置かれている危機的な状況も。頼みの工業製品は、労賃の安い中国など、新興工業国の追い上げで苦戦を強いられています。完璧な製品より、多少歪んでいても、安い方がいいという時代になってきた。
10年ほど前、象徴的な話を聞きました。その人が、ある鉄鋼メーカーの人たちと話したときのことだそうです。若手が、中国との価格競争に勝つためには、多少品質が落ちても安いものを作るしかないといったところ、上司の人が、粗悪品をつくって売るなどそんなばかなことができるかと、かなり立腹されたとのことでした。時代の変化についていけないのは、いつの時代も年寄りだと、その話を聞いた時は思ったのですが、しかし、日本人の宗教心という観点からすると、話はそう単純ではない。(つづく)