公平無私が問題

月曜に出張から帰る。出張の目的は会議である。バングラデシュ、日本、デンマーク、オランダが出資して現地で合弁会社を経営しているのだが、その取締役会に出席した。一昨年10月、東京で開かれた取締役会が始めてであったが、爾来、コミュニケーションの難しさを痛感している。

まずは言葉の問題がある。バングラ代表の英語は、まだ分かりやすい。初めての会議では、デンマーク代表の発言が半分も理解できず、呆然としたものだ。さすがに1年半が過ぎて10回近く参加してみると、かなり分かるようにはなってきた。同僚は、デンマークの英語には、彼も苦労しているという。バングラ側は、デンマークとスムーズにやりあっているようだ。とすると、日本側の聞き取り能力の問題なのだろう。

さらにコミュニケーションを難しくしているのは、それぞれの文化や経歴の違いからくる発想の相違である。言っていることが分かっても、誤解して受け取ることがしばしば見られる。ある発言をめぐって侃々諤々の議論が続いて、1時間あまりを費やし、結論をよく吟味してみると、意見の相違はほとんどなかったということが結構あるのだ。途中でそれに気づいてなんとか軌道修正を図ろうとしたりする。が、なにせ英語である。隔靴掻痒、水虫を靴の上から掻くようなもので、言いたいことがなかなか伝わらない。

こういった状況の中で、ともすると、対立する相手の意見を悪い方に受け取る傾向が見られるのは、残念なことだ。対立するのは、主としてデンマークと日本であるので、日本人だけで話すときは、デンマークの悪口言い放題である。これは大変よろしくない。相手が善意だけで発言しているとは、むろん言わない。当然自社の利益を念頭に発言しているはずだが、それはいわば当たり前のことだ。損得づくで発言したからといってそれを自分勝手だとか、陰謀だとか決め付けるのはおかしい。非難している人自身は、果たして公明正大無私無欲で発言しているのか。意識してはいなくとも、損得勘定がかならずあるはずだ。

損得勘定を自覚した人間とは交渉の余地がある。それを自覚せず、自らを公平無私であると信じて疑わない人間とは、交渉のしようがない。なぜなら彼は、彼の意識の中では、常に正しくて、妥協する必要性などこれっぱかりも感じないからなのだ。

誰のことを言っているの?オマエはどちらの味方?といわれそうだ。もちろん、公平無私で、正義の味方なんですけど。