歌舞伎な午後 (承前)

床屋のオヤジからは、屋号の由来やら歌舞伎の家系などなど、次々と質問があった。質問があるということは、関心があるということで、歌舞伎ファンとしては、大変結構と思う次第である。結構ではあるが、知識から入るというのは、どうかとも思う。関心を持つことが第一であることは言うまでもないが、ともかく実際に行って観るに限るのである。

先にサッカーの例をあげた。ルールブックやら、サッカーの歴史、プロリーグの来歴等々を読んでサッカーが好きになるものは、少ないのではないか。まずは、観て魅せられる。そうしてから、初めてルールやら、チーム、選手の詳細が知りたくなるのが、ものの順番というものであろう。非常に感覚的なものであって、知識や理性といった分野、大脳皮質あたりの活動は、むしろ邪魔になりかねない。古典芸能だから、日本の誇る文化で、たしなむことが教養だからといったような邪念をもつと、ろくな事がない。

感性が大切ということは分かった。では、見ても感動どころか、退屈あくびという場合はどうするか。私がサッカーの試合を見に行ったらそうなるであろう。それはそれで仕方ないのである。縁がないのだ。もちろんサッカーが楽しめたら、この世に生きる楽しみが一つ増えるのであるから、それに越したことはない。しかし、今のところ他にも見たいもの、やりたいことは結構あるので、サッカーはパスということで、あまり悔いはない。歌舞伎も是非楽しんでもらいたいが、つまらないならばそれはそれで仕方ない。そんなものだ