理不尽な暑さをいかんせん

今日も暑い。明日も暑い。来週までも暑いだろうという。いい加減にしろ。責任者でてこい。いくらいいつのっても、何も解決しない。ハイブリッドが唯一の解決策であるはずだが、なかなか機能しない。昨日竹刀。今日真剣。暑苦しいだじゃれだ。いつか見たようなだじゃれ。ダジャレブー、デジャブー。いい加減にしろといわれるだろう。その通りと答えたい。


何もこのように暑苦しい日々を過ごすにあたって、このように暑苦しく物事を書き連ねる必然性がどこにあろうか。必然性があるとすれば、それは、酷暑がもたらす脳髄の沸騰であり、思考の混乱である。今この部屋が何度だと思っているのか。31度センチグレードだ。冷房を入れない安マンションの一部屋の、酷暑の一夜としては妥当なせんかもしれない。


必然的な高温に対して、私はかくも無防備である。脳髄を酷暑にさらして平然としている。というか、なすすべもない。冷房を入れれば良い。なに、その程度の金はある。しかし、入れないのである。あの、人におもねったような冷気がたまらなく不快なのだ。暑いときは、暑くぶつかってこんかい。人様の顔色をうかがって、へへ、だんな、おひとつ冷たいのはいかが、なんていやったらしいったらありゃしない。


や、なのである。だから、このように脳髄の崩壊を手をこまねいて見ているのだ。救われないと人は言うだろう。どうぞ、ご自由に。ああ、私を救うものは、ただ一陣の涼風に他ならないのだが、いつ訪ねてくれるの。死なないうちにきてちょうだい。