大変な隣人

フジタの高橋氏が釈放されて、尖閣諸島中国漁船衝突事件は、どうやら手打ちということのようだ。週刊文春などは、緊急シミュレーションとか称して、中国による沖縄占拠も、などと報じていたが、とんだ被害妄想である。


対外関係は、中国にとって非常にセンシティブな問題である。中国の激しい反発は、今回の問題への対応を巡って、一種の権力闘争が表面化したのだと言った人がいたが、おそらくその通りなのであろう。アヘン戦争以来、外国に侵略されるがままという歴史が100年あまりも続いたのである。中国人の対外意識は、なかなか一筋縄ではいかない。


2004年に、当時の小泉首相靖国参拝をめぐって、対日感情が悪化し、重慶で行われていたサッカーのAFCアジアカップで、日本チームがいやがらせされたり、日本領事館が投石されたりしたことがあった。その直後に中国に出張の機会があり、北京で会ったイギリス人のジャーナリストに、対日感情の悪化をどう思うか聞いてみた。


日本だけが特別に嫌われているということは、決してないという。中国人にとって、現代史は屈辱でしかなく、自分も、何かイギリスとの関係で問題が起こるたびに、アヘン戦争を引き合いに出されて辟易することがあると話していた。


しかし、中国も、いつまでも過去のトラウマにとらわれている場合ではない。今回のノーベル平和賞は、大きな衝撃であったろう。以前であれば、内政干渉であると、ヒステリックに叫び、無視するだけですんだかもしれないが、いまや中国は、世界第2位の経済大国である。自覚の有る無しに関わらず、その行動の対外影響力が昔とは格段に違う。しかも、その繁栄の源泉は、貿易と外国資本による投資である。国際社会での評判を無視して好きなことができる時代は、もはや終わったのだ。


一方で、国内に多数の異民族をかかえ、あちこちに内戦になりかねない火種をかかえている。自由な政治活動をゆるしていては、国内統一が危ぶまれる。大変なジレンマである。我々日本人は、そういった隣人と、これからもつきあっていかなければならないのだということを、肝に命じるべきだろう。冷静におつきあいするに限るのである。