郵政の民営化は本物か

師走もおしつまってきた。あと一週間ほどで新年である。そろそろ年賀状をなんとかしなくてはならない。昨年までは、ウィンドウズのパソコンで、宛名職人という年賀状作成ソフトを使っていた。ところが、この間MACに換えたものだから、使えなくなってしまった。新しくMAC対応のソフトを買うか、あるいは、いっそ別のソフトに換えるか。あれこれ考えているうちに、はや23日である。息子のパソコンで、なんとか読み出せることを確認して、ようやく今日、年賀状を買いに出た。


買いに出ると行っても、そこら中で売っているのだ。以前は、早めに買わないと売り切れていたような記憶がある。それが、いまでは、駅前の路上、スーパーの入口で、連日連夜大売り出しといった様子だ。郵便局も、必死に稼ごうとしている。年賀状は、郵便事業にとって大きな収入源なのだろう。


しかし、収入源といっても、一枚わずか50円である。バイトのコストが時給1,000円として、二人8時間で一日16,000円にもなる。一枚のはがきのうち利益部分はいくらか知らないが、仮に5円とすると、16,000÷5=3,200枚以上売らないと儲けはなくなってしまうことになる。利益が、2.5円であれば、倍の6,400枚を売り上げねばならぬ。果たして毎日これだけ売り上げがあるのだろうか。しかも、駅前とスーパーの二カ所も特設の売り場があるのだ。二つは50メートルと離れていない。


利便性を高めることによって、年賀状離れを防ごうというのだろうが、年賀状をやめる人は、年賀状を買いにいくのが面倒だから書かないのではない。そもそも年賀状を出すことがうっとうしいのである。私にとって、年賀状の路上販売で便利であったのは、休日に買えたということだけだ。路上販売がなかったら、会社の昼休みにでも近くの郵便局に買いにいっただろう。


売り切れがないのは結構と言えば結構だが、過去だって、売り切れたら、市販の賀状で出していたのである。年賀状は、便利だから買うといった「商品」ではないのだ。効率化するのが民営化の目的だろうが、一般商品のまねをすればいいというものではない。民営化をはき違えているのではないか。