「大奥」とリアリズム

大奥といえば、言わずと知れた、徳川時代女の園である。過去、いくたの映画やドラマが作られた。だから昨年秋、映画の予告編で「大奥」を見た時も、最初はまたかと思ったのだ。しかし、今度のは「将軍は女、仕えるは美しき男たち3千人」だという。ああこれはひどい。女と男を逆転させて目新しさを狙ったキワモノだ。日本映画も落ちぶれたもの、と鼻先でせせらわらっていた。


ところが、先日ドーハから帰国する飛行機のシートテレビプログラムにその「大奥」を見つけ、おもしろそうな映画は見尽くしたので、つい暇つぶしに眺めた。これが結構面白い。よしながふみの漫画の実写版なのだが、江戸時代をモデルに、「赤面疱瘡」という奇病により男子人口が女子の4分の一まで激減し、男女の権力関係が逆転した「武家社会」を描く。女の徳川吉宗と、美男三千人を集めた「大奥」をめぐるお話だ。


荒唐無稽の話に見える。それがなぜ面白いのか。原作、脚本、キャスティングがどれも良いといってしまえばそれまでだ。荒唐無稽のようでいて、実は「リアリズム」に裏付けされていることが大きいのではないかと思う。


例えば、カフカに「変身」という小説がある。主人公がある朝目覚めると、巨大な毒虫に変身しているという物語だ。人間が毒虫に変身するということは、全く荒唐無稽のことだ。しかし、それから先に展開される物語は、実に「リアル」なのである。つまり、ある日突然自分が、あるいは自分の家族が毒虫に変身したら、人間はどういう言動をとるかということに関し、非常にリアルに描かれている。


この「大奥」もそういう意味で「リアル」だ。江戸時代に、もし男が激減し、男女の権力構造が逆転したとしたら、こうなってもおかしくないと納得させられるのである。大奥のオカマみたいな男たちの嫉妬、足の引っ張り合い、身体をはった(力ではなく色仕掛けで)権力闘争など、いかにもおこりそうな話で面白い。


柴咲コウの吉宗がまたえらくかっこいい。いきなり側用人の間部を首にするところなど、快哉をさけびたいくらいだ。おかみの財政が苦しいにもかかわらず、人気取りのためにばらまきにはしる、情けない顔の誰かさんと比べると、いかにも一国の主にふさわしい。


女が将軍でも「リアル」に感じるというのは、そもそもそれがこの国の実態だからではないのか、とふと思ってしまう。「亭主関白」という言葉がある。しかし、実は「亭主関白、妻天皇」なのだと喝破されたのは、故河合隼雄氏であった。関白などといっても、所詮天皇の手のひらの上で威張っているだけなのである。


残念ながら、見始めたのが遅く、吉宗が間部を首にしたあたりで、飛行機は着陸態勢に入り、シートプログラムは全部停止されてしまった。調べたら、幸にも都内でまだ上映している。さっそく土曜に見に行こう。