生まれ変わった自分

随分昔のことです。確か会社の昼飯時だったか、次に生まれ変わったら何になりたいか、といった話題になったことがあります。役者になりたいとか、どうせなら女に生まれ変わりたいとか。座興ですから、適当なことを言い合っていたのですが、その中のややひねくれたのが一人、ややこしいことを言い出しました。
「生まれ変わるというからには、全く違った人間になって、今の自分のこと、つまり生まれ変わる前の自分のことなど覚えていないはずだ。今の自分を覚えてもいないのであれば、何に生まれ変わろうと、今の自分にとってどうでもいいことじゃないの。」なるほど、そういわれてみればそうかもしれないが、白けるね、とその時は思ったのです。

来世の生まれ変わりを本気で考える人は少ないでしょうが、しかし、自分がもう少し違う自分であったなら、と思ったことは誰にでもあるでしょう。気分が落ち込んだ時など、自分に嫌気がさして、もう少し才能があれば、もっといい仕事ができたはず、などと思ったりする。

しかし、よくよく考えると、両者にさほど大きな差はないのではないかと思えてきました。「もう少し才能がある自分」は「来世に生まれ変わった自分」より、なんだか実現可能性が高そうです。「もう少し」というところがミソ。完全生まれ変わりは、さすがに信じにくいが、「もう少し」の才能追加くらいならあってもいいんじゃないか。ところが、そうではないのですね。残念ながら。(つづく)