生まれ変わった自分(2)

「もう少し」と自分では思っているのかも知れないが、客観的に見たら、「相当な違い」なんだと思う。仮に本当にもう少しなら、とっくに実現できていたはず。あるいは、近い将来実現できるだろう。そうではないから、「もう少し」あったら、と今嘆いている。となると、「もう少し」と望むのは、「生まれ変わったら」と思うのとほとんど同じということではないでしょうか。結局、自分でどうにもならないことを、「もう少し」と嘆いている。そして、「もう少し才能のある自分」というのは、「生まれ変わった自分」と同じくらい、今の自分と違う。同じくらい他人なのです。
雨にも負けず、風にも、雪にも夏の暑さにもまけない丈夫な身体を持ち、欲は無く決して怒らず、いつも静かに笑っている。そんな人に私もなりたい。しかし、そんな人になった私は、私ではないと、私は思う。宮沢賢治になってしまう。私が宮沢賢治になったとして、かみさんは喜ぶかもしれないが、私はちっともうれしくない。雨は嫌い、風にも雪にも夏の暑さにもへこたれ、欲の無いふりをしつつ小利を追い、わずかなことですぐに怒り、たまに笑うとけたたましい。

そんな自分で、いいとはいいませんが、しかし、その線で生きていくしかないのではないか。いやなものもいいものも含めて自分であるということを受け入れる。煮え湯を飲むようにつらいが、飲みきると結構すっきりする。これを称して煮え湯健康法というのであります。