軍隊の役割

ついにムバラクが退陣した。チュニジアが「ジャスミン」革命なら、エジプトは「すいれん(エジプト国花)」革命ということになるのだろうか。まずはおめでとうというべきなのかも知れない。しかし、問題はこれから、熱狂がさめた先である。


ムバラク辞任を受けて、軍最高評議会が全権を掌握しているが、民主化へ向けての、一時的な措置としている。憲法上は、国会議長が大統領代行となるはずであるが、野党に著しく不利な憲法の改正や、国会の解散もできないということで、軍隊が超法規措置をとっているそうである。専門家の見方は、軍隊には、軍政を敷き続けるような能力も自覚もないという。それならば、結構である。


今回の革命における軍の行動を評価する声がある。民衆に決して銃を向けなかったと。しかし、軍隊の役割を考えた場合、これでいいのかという疑問は残る。軍隊は、その時の政権の命令に従うのが、鉄則である。1989年の天安門事件人民解放軍の行動と比較してみればよくわかる。彼らは、政府の命令に従い、広場に集まった学生に発砲し、装甲車で蹴散らしたのである。


世界の評判からいえば、人民解放軍は、独裁政権の手先であり、エジプト軍は、人民をまもったということになろう。しかし、軍隊の目的からすれば、人民解放軍の方が正しいということになる。世の中には「正しい」ことを行っては、結果が悲惨になることが、多々あるのである。結局、結果で判断するしかないのだ。


カイロに3年ほど住んでみて、エジプト軍は、というよりは、エジプト人は、基本的に流血の争いを嫌う民族なのではないかという印象がある。アラブといっても、湾岸諸国のような遊牧民出身ではなく、4000年の昔から、肥沃なナイルデルタで農業を営んできた国民なのである。力づくで権力を押し通す残酷さにかけているのではないかとも思える。


カイロに滞在していたときに、エジプト軍の兵士を何度も見かけたが、実に人が良さそうであった。軍事基地の警戒をしていても、こんにちは(サラーム・アレイコム)と挨拶したら、こんにちは(アレイコム・サラーム)と応えてくれる。テルアビブに遊びにいった時、そこら中で見かけた兵士の目つきはやたら鋭く、気安く声をかけたら撃ち殺されそうな気配だった。これでは何度戦争をやってもエジプトは勝てないと思ったものだ。ものごとには、いいこともあれば、悪いこともあるのである。